穂積芳季の日記

「非力な浪人日記」を不定期更新中!過去記事は研究やポケモンについてです。

卒業式

2018年の4月、まるでこれからの「不幸」を暗示させるかのような悪天候の中で高校の入学式が行われた。

 

私には勉強のできる友人が1人しかいなかった。他の友人は工業高校や多部制の高校に進学し、彼でさえ私とは別の高校へ行ってしまった。つまり私は友人0人からスタートの高校生活となった。最初はここから友人を作っていけば良いではないかと考えていたが、それはあまりにも甘かった。というのも既にクラスメイト達は入学式以前にLINEで友好を深めていた。また彼らは元々顔馴染みだったため仲が良くても不思議ではない。当然話しかける相手を選ぶなら多くの人は1人でいる人よりも周りと仲良くしている方を選ぶだろう、これが世の法則だ。第一私は友人の出来にくい性格で受け身のタイプだったのも拍車をかけ、入学して4日目で詰んでしまった。

 

そして入学5日目にして私はある行動を起こした。それは「新入生歓迎遠足」をサボるというものだ。今思えばこれが自分の「サボり」の原点だったと思う。もしあの時参加してたら友人が出来ていたかもしれないと思うと少し後悔もある。これも良い青春?だ。実はその日の夜、担任から電話があり、その中で自分の抱えた悩みを伝え、学校を辞める意思を伝えた。然しもう少し待ってみないかと提案され、そのお陰でこうして今日卒業式が迎えられると思うと複雑な気持ちになる。何故ならもしこの時本当に退学していたら孤独に苦しむことも、「努力の継続」という私の数少ない取り柄を失うこともなかったかもしれないという考えと生物部での活動(後述を参考)が無く、傲慢な性格で自分と向き合わない人間のままだったという考えが対立しているからだ。この退学するかしないか問題は今になっても答えが分からないのは実は内緒だ。

 

高2の初夏までは実に退屈な日々であった。 相変わらず友人が出来ることもなく、いつの間にか学力も難関大学を目指すには程遠い成績にまで落ち、もはやかつての友人と退屈しない日々を送り、小児外科医を志して白陵や須磨学園を目指した少年の面影はどこにもなかった。まさに転落人生である。然しそんな自分にも日々を充実させることが1つだけあった。それが生物部のスミレの研究である。内容はあるスミレが現在の分類ではおかしいというのを証明するために塩基配列を用いて証明するというものである。地味なテーマではあるが蓋を開ければ何とも大変な作業である。遺伝子を扱った研究をした人なら分かると思うが、まず常温で十分にコンタミ対策もされていない環境でDNAを採取するのは困難である。しかも高校生に与えられた活動時間はせいぜい3〜4時間が限界だ。そんな中で十分に研究成果を出すのは難しい。当然我々はたくさんの失敗をしたし、時にはテスト期間さえ削って研究に時間を割いた。これには東北大学も真っ青である。然しそんな理不尽な中でも自分たちの研究が認められた時は嬉しかった。これが仲間と成功を分かち合うということかと当時思った。そして体育大会や球技大会を抜け出して実験したのは良い思い出。今思えば部活で北海道や鹿児島、さらには静岡にまで行ったのは良い思い出だ。本来なら滋賀や山形まで行くことになっていたがコロナのせいで無くなった。ここでコロナを憎めるということは自分は心から生物部を愛していた、そして学校での唯一の居場所だったんだなと思う。

 

そういえば高2の修学旅行を予め欠席する宣言をしたのも懐かしい。お陰で10数万円浮いたし、普段部活で出来なかった勉強に精を出せたので今でも後悔していない。

 

こうして欠席日数は3年間で66日程度。「探究」の単位を1落としたけど部活の顧問の担当科目だったのでスムーズに回収できた。まさかの高校最後に受けた科目が部活と同じ「探究」で担当が顧問、場所は部室という激アツ展開!それにも関わらず高校でよく頑張った生徒にのみ与えられる賞を貰う。我ながら変わった生徒だと思った。

 

この3年間は確かに哀れで惨めで地獄のように辛くて長かったがそれなりに収穫(教訓)があったので紹介しよう。

 

(1)自分を「隠す」な。

これはよく言われていることだが、要するに自分を一般化するために個性を潰してはいけないということだ。私は自分の持ち前の「不断の努力」とそれとは反対の「誰も想像のつかないことをし笑わせる」という個性を潰した結果周りから無個性だと思われ友人が出来なかった。勿論敬遠されがちな個性は抑える必要があるが、そうでもない限り晒した方が友人ができやすいし何より気が楽!自然体最高!!

 

(2)謙虚に他人の力を借りよ。

私は幼い頃から他人に命令されるのが嫌いで他人のやり方に不満を持つ傲慢で意地っ張りな性格だから受験とは相性が最悪だ。そもそも受験というのは講師に言われた解法が一番効率が良いことが殆どでそれを聞き、模試などの間違いを受け入れる謙虚で誠実な姿勢を持つ者が制するのが世の常だ。然し私はこういった性格のため受験の鉄則を守らず独学を貫き、より良い解法を無視したため受験に失敗したのだ(合格発表はまだだが恐らく不合格)。だからこそこれを読んでいる人には謙虚な姿勢で受験に臨んでほしい。

 

(3)無理なときは逃げろ。

未だに日本では「逃げる」とは恥であるという考えがある。然し本当に恥なのか。私はこうやって何の面白みもない3年間を過ごして後悔している。正直孤独を好むキャラを演じるのは辛かった。確かに研究成果が認められ幾つもの表彰を貰ったが、やはり中学のような友人と過ごした何気ない日常の幸せとは代えられない。こんなことなら友人の多い西脇北に転校すればよかったと卒業した今でも思っている。もうお分かりだと思うが私の逃げるとは転校だ。私は逃げなかった(転校しなかった)。然し私は幸せではなかった。これなら逃げた方が良かった(転校した方が良かった)と思う。私が思うには「逃げる」が恥ではなく真の恥は「プライドのせいで不幸な道を歩む」ということだ。どうか読者には逃げてでも幸せを掴んでほしい。

 

 以上が収穫こと教訓である。

 

この3年間地獄のような日々を過ごし、個性を潰した挙句に受験に失敗する…そして卒業したのに未だに過去に囚われる。実に哀れだ。いつか過去から赦されることはあるのだろうか?

 

私は親の許しを得たのでこれから駿台京都校で浪人する。そして家からは通えないので堀川寮に住む。また心療内科でgiftedの検査も受ける。

 

今度こそ負の連鎖を止めて桜を見たい。

 

そう思った卒業式。

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