高校受験の苦い思い出
今回は高校受験の苦い思い出を書こう。
あれは中学2年生の3学期のことだった。
当時自分は将来の夢が小児外科医だったため地元の超難関「神戸大学 医学部 医学科」を目指していた。これを実現するには当然かなりの進学校に通う必要があった。んんんwww進学校に行くしかありえないwww(マジで)。
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当時から自分の地頭や容量の悪さは十分に理解していたつもりだったが、受験の現実を知らなかったため努力で何とかなる()なんて本気で信じていたので難関私立高校(灘、白陵、須磨理数Ⅲ…)にチャレンジしようと本気で考えたこともあった(高望みは今と変わらない件について…)。そのとき2つの塾(個別と集団;いずれも週一)を掛け持ちしていたから模試で小野(母校)はA判定だったけど流石に灘はE判定だったため、というかそもそもどこの難関私立も家から通うのが不可能だったため親が受験させてくれなかった(ならなんで目指した)。今思えば、難関中高一貫校に通っていた従兄弟に憧れていたのも原因かなとも思う。
↓よく使った問題集シリーズ
こうやって振り返ると当時は塾に通っていたから地頭の悪さをカバーできたが失敗したし、高校生になってからは塾なんて言ってないからモロに地頭の悪さをアピールしていたように感じる。
やっぱ塾に行かないとダメだわ…
他の記事でも書いたがまあ穂積芳季はこんなもんよと。これからは現実と向き合いますわ…
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